Wiresharkが育てたコミュニティ|“Shark”たちの文化が生んだ継承力
本記事は、全6回の連載「クラウドの中を“観る力”」の第3回です。
この連載では、可視化という観点からOSSの進化をたどりながら、クラウドネイティブ時代における観測・セキュリティの在り方を読み解いていきます。
第1回: Sysdigのルーツ|“Wireshark for the Cloud”が目指す未来
第2回: EtherealとWinPCAP|クラウド可視化を切り拓く技術の出発点
第3回: Wiresharkが育てたコミュニティ|“Shark”たちの文化が生んだ継承力 ← 本記事
第4回: Sysdig OSSが可視化したコンテナの“中身”|System Callが開いた世界
第5回: Falcoが変えた“検知”の常識|振る舞いベースで守るOSSセキュリティ
第6回: Stratosharkと新コミュニティの爆誕|OSSが切り拓くクラウドセキュリティの次章
本稿では、WiresharkというOSSがなぜここまで広く支持され、成長し続けてきたのか。その裏側にある「コミュニティの力」にフォーカスし、OSSの文化が持つ継承力と拡張性を考察します。そしてその文化が、SysdigやFalco、Stratosharkといった次世代OSSにもどのように引き継がれているのか──未来を見据えた“OSS文化の連鎖”を紐解いていきます。
2006年にEtherealがWiresharkとして統合されて以降、世界中のネットワークエンジニアに支持され続けるOSSとなった。毎年のSharkFest、コミュニティ主導の進化、そして20年近く続くユーザーの愛。WiresharkがOSSの模範として成功してきた要因と、Sysdigにも受け継がれるその文化を掘り下げる。
Wiresharkが誕生した経緯と名称変更の背景
商標問題から生まれた転機
Etherealは1998年にGerald Combs(ジェラルド・コムズ)によって開発されました。GUIによるプロトコル分析、無料・OSSとしての可用性により、瞬く間に注目を集めました。しかし2006年、Etherealという名称の商標がRiverbed Technologies社に属していたことから、プロジェクト名称を変更せざるを得ない事態になりました。このとき、新しい名前として選ばれたのが「Wireshark」でした。
「Wire」=ネットワークの“線”
ここでの「Wire(ワイヤー)」は、LANケーブルなどの物理的なネットワークインタフェースを指しており、ネットワーク上を流れるパケット(データ)を表す象徴的な単語です。パケットキャプチャツールとしての本質は「ワイヤー上を流れるものを見る」ことなので、まさに「Wire」はこのツールのコア機能に直結しています。
「Shark」=俊敏で鋭い観察者
「Shark(サメ)」は、その俊敏さと鋭い感覚を持つ生物として、ネットワーク上の異常やパケットの変化をすばやく検出・解析するというこのツールの性質を暗示しています。また、「パケットの海」を泳ぎながら、獲物(異常やバグ)を見つけて捕まえる存在──という比喩的な意味合いもあります。
▶ Wireshark公式サイト:https://www.wireshark.org/
Wiresharkに名称は変わったものの、開発体制・コードベース・思想はいっさい変わることなく継続されました。この意思の強さは、OSSコミュニティの結束力を象徴するエピソードとして知られています。
コミュニティドリブンの開発体制
世界中の開発者が支えるソースコード
WiresharkのソースコードはGitLab上で管理されており、世界中の開発者が日々コントリビュート(貢献)しています。現在では数百人を超える開発者が関わり、1,000以上のネットワークプロトコルをサポートしています。バグ修正、プロトコル解析の追加、UI改善、新機能提案など、大小さまざまな貢献が公開のIssueとMerge Request(MR)で議論されながら進行しています。
「メンテナーが選ばれる」文化
Wiresharkにはいくつかのサブメンテナーが存在し、各自の専門領域(例えばVoIP、HTTP2、TLSなど)を担当します。一定の品質と責任を担うリーダーシップは、長年の貢献によって自然と確立されていきました。このボトムアップかつ信頼ベースのメンテナー文化は、Sysdig OSSやFalcoにも通じるものがあります。
SharkFest:OSSに魂を吹き込む開発者イベント
Wiresharkコミュニティにおける象徴的イベントが「SharkFest」です。
SharkFestとは
2008年にスタートしたSharkFestは、Wiresharkユーザーや開発者が一堂に会する年次イベントです。開催地はアメリカだけでなく、ヨーロッパ(SharkFest EU)やアジア(SharkFest Asia)にも広がっており、グローバルなOSSイベントとして確固たる地位を築いています。
▶ SharkFest公式:https://sharkfest.wireshark.org/
イベントの内容
- プロトコル解析ハンズオン
- Wireshark開発チームとのワークショップ
- 教育・企業向けトラブルシューティング実演
- OSS参加方法や貢献文化に関するパネルディスカッション
開発者・利用者・教育者がフラットに語り合うSharkFestは、「OSSが文化である」ことを実感させる場であり、継続的な学びと交流が生まれる源泉です。
教育分野での活用と普及
Wiresharkは大学や専門学校、高校の情報科教育などでも活用されています。ネットワークの基本構造を実際に可視化できることから、教材としての価値が極めて高いのです。
教材としてのユースケース
- 3ウェイハンドシェイクの観察
- HTTPリクエスト・レスポンスの構造解析
- DNSルックアップの流れ
- SMTPやFTPなどレガシー技術の理解
これらの例をWiresharkを通して“見える化”することで、学生は「教科書で読むだけ」では得られない実体験的な理解を深めていきます。
▶ 教育機関用リソース:https://www.wireshark.org/docs/wsug_html_chunked/
OSSに育てられた文化的価値
Wiresharkは単なるツールではなく、以下のような“文化”としての価値を持っています。
OSS文化の要素 | Wiresharkでの具体例 |
---|---|
民主化(Democratization) | 誰でも無料で入手・使用・改良可能 |
教育性(Educationality) | 教材・教材用キャプチャデータの公開 |
協調性(Collaborativity) | GitLabとSharkFestを通じた対話と共創 |
継続性(Sustainability) | 20年以上継続されている改善と保守 |
拡張性(Extensibility) | LuaやCによるプロトコルプラグインの開発 |
このような文化的価値がWiresharkを単なる「ツール」から「OSSムーブメント」に押し上げた原動力です。

Sysdig・Falco・Stratosharkへの思想的継承
Wiresharkを通じて培われた「観察することの価値」や「可視化の力」は、その後の様々なOSSにも影響を与えていきました。とりわけ、Sysdigの創業者ロリス・デジオアニ(Loris Degioanni)は、Wireshark開発に深く関与していた人物です。
Sysdig OSS
- System Callトレースによる“中の動作”の可視化
- イベントストリームを一筆書きのように記録し、トラブル発生の因果関係を再現可能
- Wiresharkで「ネットワークを見る」から、「システム全体を見る」へと視点を転換 ▶ Sysdig OSS:https://github.com/draios/sysdig
Falco
- CNCFに寄贈された振る舞いベースのセキュリティ脅威検知エンジン
- eBPFとSystem Callトレースによって、軽量かつ高精度な侵入検知が可能
- Wiresharkが「通信を見る」なら、Falcoは「異常な行動を見る」 ▶ Falco:https://falco.org/
Stratoshark
- 2025年にSysdigから発表された新ツール
- クラウド上の複雑なイベントの可視化に特化した“Wireshark for the Cloud”
- CloudTrailやKubernetes Audit Logsなど、クラウド固有の観測対象にも対応
▶ Stratoshark:https://stratoshark.org/

おわりに:コミュニティが技術を超えるとき
Wiresharkというツールは、その機能以上に「OSSによる継続的な文化」がもたらす力を私たちに教えてくれました。
- 誰でも使え、貢献でき、学び合える
- コミュニティが作り、育て、守り続ける
- それが次世代のOSSやプロダクトへと繋がっていく
SysdigやFalco、Stratosharkといった“次世代の観測技術”は、まさにWireshark文化の延長線上にあります。クラウド時代のいま、かつてのネットワーク観測が“クラウド全体の観察”へと拡張されようとしています。次回は、その技術的な拡張のはじまり──Sysdig OSSが、なぜSystem Callを使って「コンテナの中身」を可視化しようとしたのか?を詳しく解説します。
次回予告|Sysdig OSSが可視化したコンテナの“中身”|System Callが開いた世界
本稿では、EtherealやWiresharkの時代から受け継がれてきた「観測文化」が、いかにコミュニティの力によって支えられてきたかを見てきました。
次回の第4回では、いよいよSysdig OSSそのものに焦点を当てます。コンテナという新たなインフラ技術に対して、Loris Degioanniが「System Callで中身を観る」というアプローチで切り拓いた全く新しい可視化の世界。その技術的インパクトと思想、そして現代のクラウドネイティブ環境における意味について、徹底的に掘り下げていきます。
どうぞご期待ください。
オープンソースセキュリティの新拠点「Sysdig Open Source Community」のご案内
Sysdigは、Falco、Wireshark、Stratoshark、sysdig OSSのユーザーをつなぐ、新たなグローバルコミュニティを開設しました。本コミュニティは、世界中のセキュリティ専門家や開発者が集い、協力し、成長するためのハブとなります。
技術的な情報交換はもちろん、専門スキルを証明する認定プログラム、求人掲示板、メンター制度、学生支援センターなど、キャリア形成に役立つ多様な機会を提供します。